歴史も人も風景もみんな芸術 

イタリア・トスカーナ州の州都「フィレンツェ」。
よく「花の都」などと言われるのは、古代ローマ時代に「花の女神フローラ」の町としてフローレンティアと呼ばれていたのが由来らしい。
ちなみに、英語発音では「フローレンス」

旧市街には歴史的建造物が多く遺されていて、「街自体が屋根のない美術館」と言われているのだそう。

よし、今回はフィレンツェだ。
花の都で歴史と芸術まみれになってみよう!

・歴史的建造物の美しさ
・ゲージュツカがいっぱい
・ミケランジェロ広場から
・街の芸術スケッチ

フィレンツェには滑走路の短い地方空港しかないので、日本から行くには近場の大きな国際空港をまず目指す。
僕はミラノ経由にすることにした。

まず、ミラノまでのフライトが約12時間。
ミラノからはイタリア鉄道トレニタリアで、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅まで2時間弱で到着。

歴史的建造物の美しさ

フィレンツェを代表する歴史的建造物は、ほとんど徒歩圏内にまとまっているので、楽に歴史散歩が楽しめる。
だから、今回はレンタカーは必要ない。

と言うより、旧市街は住民の車とバス・タクシー以外の乗り入れは禁止されていて、勝手に入ると罰金を取られる。

フィレンツェといえば、何はともあれドォーモとして有名なルネッサンス様式の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の大聖堂)」だね。
1296年に着工し、実に165年かけて1461年に完成した。

最上部のドーム状の屋根「クーポラ」は建築家ブルネッレスキが、ここだけで14年もかけて作り上げたもので、世界最大の石積み建築と言われている。
高さ90mのクーポラの最上部までは、464段の階段で上ることができる。

この大聖堂のあるあたりが、フィレンツェの芸術・文化スポットが多く集まる場所のひとつ。

大聖堂のすぐ横にあるのが「ジョットの鐘楼」。
ジョットは担当した建築家の名前。
高さは84mのゴシック様式の建物で、赤、白、緑の大理石でできている。

最上階までは414段の階段で行けるけれど、入口には「心臓に障害がある人は上らないように」の注意書きがあるので、くれぐれも無理はしないでね。

大聖堂の西には八角形の「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」が建っている。
大聖堂よりも古いロマネスク様式。

大聖堂に面したこの東側の扉は「天国の門」と呼ばれる、ギベルティの傑作。
旧約聖書に書かれた物語を10枚のレリーフで表現したものだけれど、この制作にも長い時間が掛かり、完成までに22年もの月日が流れたそうな。

黄金に輝く重厚な扉だけれど、これはレプリカで本物はドォーモ付属博物館にある。

大聖堂から南に5分程歩いたところにあるシニョーリア広場周辺も見どころが集まっている場所。

これは、かつてフィレンツェ共和国の中央政庁が置かれた「ヴェッキオ宮殿」で、一時メディチ家の住居となり、現在はフィレンツェ市庁舎として使用されている。
14世紀初めの建設で、世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の構成建造物のひとつ。

ちなみに、ヴェッキオとは「古い」という意味。
つまり「ヴェッキオ宮殿」は「古い宮殿」ということ。

ゲージュツカがいっぱい

フィレンツェはルネッサンス文化が大きく花開いた街なので、当然芸術作品が多く残されている。
また、芸術の香りのする人々にも出会えるみたい。

ウフィツィ美術館前のウフィツィ広場で似顔絵を描く芸術家さん。
美術館前というロケーションのせいか、いかにも芸術家の雰囲気を醸しているね。

左右の建物がウフィツィ美術館で、コの字型に繋がっている。
奥に見えるのはヴェッキオ宮殿。
ウフィツィ美術館は、元々は16世紀末に建てられたフィレンツェの行政機関の事務所に使われていたもので、18世紀中頃にオープンした。
そのため名前は「事務所」を意味する「ウフィツィ」になったとのこと。

ウフィツィ美術館は近代式美術館としてヨーロッパ最古のものの一つで、イタリア国内の美術館としても質・量ともに最大と言われている。
収蔵品は、ルネッサンス絵画が中心だけど、古代ローマ時代、ゴシック時代、バロック時代などの作品も充実しているので、ここは行かない手はないね。

こちらも多分芸術家さん。
ウフィツィ美術館の周りにはこんな人が何人もいたよ。
やっぱり美術館の近くの方が商売になるのだろうか?

でも、踏ん反り返って偉そうな格好していると、お客さん逃げちゃうかも…。

こちらは将来の芸術家さん候補かも。
美大生だろうか、お互いのスケッチをしていた。

どこの国でも落書きはあるけれど、イタリアは特に多いような気がするね。

これはウフィツィ美術館近くの回廊の柱だけれど、周りを見渡してもおよそ落書きの無い柱や壁は無かったみたい。
これを描いたゲージュツカさんは誰か知らないけど、こんな中から将来の巨匠が出るのかな?

左の川がフィレンツェ市内を流れるアルノ川で、そこに架かっているのがヴェッキオ橋。
フィレンツェ最古の橋で、橋の上(中)には宝飾店が軒を連ねている。

また、橋の上階にはメディチ家の住居ピッティ宮殿からヴェッキオ宮殿まで約1㎞続くメディチ家の専用通路「ヴァザーリの回廊」が通っているのでも有名だね。

この回廊は1565年に、時の公爵の息子で跡取りのフランチェスコ・デ・メディチの結婚式に間に合わせるため、わずか5カ月で完成させたのだそう。
さすが、権力と財力のメディチ家という感じだね。

ミケランジェロ広場から

ウフィツィ美術館からアルノ川を渡ったところにある、綺麗に整備された「ミケランジェロ広場」に向かってみた。

ミケランジェロ広場まではヴェッキオ橋からは歩いて20分程だけれど、街並みの建物やお店のショーウインドウを見ながらだと結構楽しいよ。
広場の中には、バラ園や現代アート作品、姉妹都市の京都市から贈られた日本庭園などもあるよ。

ミケランジェロ広場は、かつてフィレンツェが城壁都市だった時代に見張り台が置かれた場所。
だから、当然遠くまで見晴らしが良く、街の全体感が良く分かる。

右に花の大聖堂とジョットの鐘楼、左に見えるのがヴェッキオ宮殿と街全体の様子が一目瞭然だね。
つまり、フィレンツェの街を観光する際には、最初にここへ来るのが得策だということに、今気付いてしまったのだ。

ちなみに、この広場は1869年に建築家のジュゼッペ・ポッジが整備して、地元出身の巨匠ミケランジェロに捧げたため「ミケランジェロ広場」となっている。
つまり設計はミケランジェロではないのだ。

もう少し右の方を見ると、アルノ川の向こうに尖塔を持つ教会が見える。
これが「サンタ・クローチェ聖堂」で大聖堂(ドゥオーモ)からは800m程離れている。

ここは、ミケランジェロ、ガリレオ、ロッシーニ、マキャベリなど有名なイタリア人が埋葬されているため「イタリアの栄光のパンテオン(神殿)」と呼ばれているそうな。

街の芸術スケッチ

有名どころをいくつか回った後は、普段着のフィレンツェも見てみようかな。

街中には高級ブランドのお店から観光客相手の出店まで沢山ある。
また、アンティークを扱う店や蚤の市なども、いくつかまとまってあるので何も買わなくても見ているだけで、時間はあっという間に過ぎていく。

でも、石畳の道はどこへ行っていい味出しているよねぇ。

観光馬車のお馬くんは食事中。
歴史が感じられる街を馬車で優雅に巡るのは、ゆったりと街を楽しむには打ってつけだね。

ただ、食べるということは出るとイコールなので、時々道路に落ちているお馬くんの”アレ”は踏まないように注意しようね。

ジェラート屋さんの店頭。
ジェラートを入れるコーンが芸術的にディスプレイされているよ。

確かにアートを感じるけど、使い勝手がいいのか悪いのか…。
ま、目立ってなんぼか…かな。

街中で時々見かけるライオンの口から水が出て下の水槽に溜まるもの。

この設備に名前があるのを僕は知らなかった。

「ライオンの蛇口」だけでなく「壁泉(へきせん)」とか「吐水口」などと言うらしい。
昔は旅人などがここで水を飲んでいたのかなぁ。
でも、ライオンの表情が妙にリアルなのにひょうきんな印象で面白い。

ちなみに何故、水の出口にライオンが多いかと言うと、古代エジプトでは太陽が獅子座に入る8月にナイル川が増水することから、泉や浴場にライオンの彫刻を飾るようになったのがルーツとも言われている(諸説あり)。

普通の民家の窓で位置も色も揃ってはいないけれど、何となく統一感みたいなのが感じられて落ち着く。
ある意味、偶然ここに生まれたアート作品のように見えちゃう。

さて、1日歩いたらお腹が空いたね。
トスカーナ地方はいいワインが沢山あるから、それに合うトスカーナ料理を食べるとしよう。

そして、夏場は日の入りが午後9時くらいなので、夕食後はまたミケランジェロ広場に行って、絶景と言われているフィレンツェの夜景を見に行こうかな。
でも、周りがカップルだらけだったら、浮いちゃうかな?

なんちゃって。