地球の反対側のもうひとつの日本

日本にルーツを持ち、日本以外で暮らしている人を「日系人」と呼ぶ。
その数は世界で相当な人数になるけれど、正確には分からないのだそう。

そして、その人達が集まってコミュニティーを形作っているのが「日本人街」。
世界中に日本人街はあるけれど有名所というと、アメリカ・ロサンゼルスの「リトルトーキョー」、シンガポールの「リバー・バレー地区」、カナダ・バンクーバーの「パウエル街」あたりかな。
そして中でも世界最大なのが、ブラジル・サンパウロの「リベルターデ地区」。

ここは「日本っぽい」というよりも場所によっては「ほぼ日本」みたいな所らしい。
何だか興味が湧いてきた。

地球の丁度反対側の「ほぼ日本」を見てみるとしますか。
では、日本の裏側のブラジル・サンパウロへGO!

・餅つき、盆踊り、何でもあり
・100万人の日系人が住む街
・博物館と研究所
・モルンビーにも行ってみた

日本からサンパウロへ行くには、直行便は無いので途中1~2回の乗り換えが必要。

丁度、地球の反対側なので東回りでも西回りでも行けるけれど、アメリカの都市を経由する東周りの方が30時間程度のフライトと早いが航空運賃がやや高い。

それに対してヨーロッパや中東の都市を経由する西回りの方はかなり安く済む反面、40時間以上かかるので、体力と体調を考えて選択することが大切。

着くのはサンパウロの玄関口「グアルーリョス国際空港」。
南米最大の空港で、サンパウロの中心までは車で40分くらい。

餅つき、盆踊り、何でもあり

サンパウロ市は人口1200万人(2016年)で南半球最大の都市。
日系人が多く住むのは市街地のほぼ中心にあるリベルターデという地区。
中国人や韓国人も一緒に住んでいるので日本人街ではなく、現在は「東洋街」と名付けられているのだそう。

何も言わずにこの写真だけを見せられたら、一瞬日本のどこかの商店街と思ってしまうよね。
でも、れっきとしたサンパウロ市内。

地下鉄のジャポン・リベルターデ駅の周りの東西500m、南北1500m位の範囲に多くの日系人が住んでいる。
横幕に普通に日本語で「もちつき大会」の案内が書いてあるね。
この他、七夕祭りや盆踊り、大祓の茅の輪くぐり、甘茶の振る舞い、東洋市など季節の年中行事がジャポン・リベルターデ駅前広場で開催されているとのこと。

リベルターデのメインストリートであるガウヴン・ブエノ通りには立派な鳥居が建っている。
この鳥居は街中にある提灯の形をした白い街灯と共に1974年に建てられたもの。
そして、この欄干のある赤い橋の名前は「大阪橋」と言うそうな。

ちなみに、サンパウロの日本の姉妹都市は大阪市。

本当に車のナンバープレートを見なければ、「ほぼ日本」だね。

日本語の表示が多いということは、海外のチャイナタウンで中国語がやたらと多かったり、コリアタウンではどちらを見てもハングル文字というのと同じような状態ということかな。

大阪橋の下を通っているのがラジアウレステ通り。
片側5車線ある大きな幹線道路。

100万人の日系人が住む街

「ほぼ日本」の街中のお店も覗いてみるね。

サンパウロの治安は決して良くはないけれど、その中でもリベルターデは少しマシらしい。
でも、気を付けて歩こ~っと。

どこからどう見ても「ほぼ日本」。
この他にも寿司屋、牛丼屋、たこ焼き屋、ラーメン屋などいろいろとあって楽しい。
また、土産物店では下駄や扇子、狸の置物なども売っているよ。

こちらも何を売っているお店かすぐに分かるね。

サンパウロ市全体では国内の7割に相当する100万人もの日系人が住んでいるそうな(2016年)。

日本からの本格的な移民のスタートは1908年の笠戸丸からだそう。

その時来た約800人の日本人のほとんどが農業移民として地方へ行ったのだけれど、農業が目的ではない自由移民が10人ほどいて、その人達がこのリベルターデに住んだのがここの始まりらしい。

ちなみに、この街では「サンパウロ新聞」や「ニッケイ新聞」といった日本語新聞が発行されている。
また、郊外にあるサンパウロ日本人学校は、日本人学校として世界有数の規模らしい。

八百屋さんの店頭で椎茸が売られていた。
ローマ字読みで「シタケ」だが、まあ分かるね。

リベルターデには1960年代頃から韓国や台湾の人が増え始め、1990年代からは中国人も住むようになったので、日本語だけでは分からないとローマ字で書くようになったのかな。
いずれにせよ、ブラジル人から見たらみんな東洋人だよね。

博物館と研究所

サンパウロには博物館などもたくさんあるよ。
そのうちのユニークなところを紹介するね。

市の中心からタクシーで15分程の所にある「パウリスタ博物館」。
ルネサンス様式の建物は植民地時代の貴族の館だったらしい。
家具や彫刻、絵画など歴史的に貴重な品々を見ることができる。
ベルサイユ宮殿を模した庭園も美しくて立派。

また、この博物館はイピランガ公園の中にあるのだけれど、この場所は1822年にドン・ペドロⅠ世が独立宣言をしたことでも有名で、彼のブロンズ像も建っているよ。
「イピランガ」とは「赤い川」という意味で、公園内を流れる川が赤いことに由来しているとのこと。
ちなみに、この公園では毎週末に屋台が出るとのこと。

こちらはブタンタン駅からタクシーで5分程の「ブタンタン毒蛇研究所」。

1898年にビタウ・ブラジル博士によって設立された生物毒の研究をする施設で世界的にも結構有名らしい。
生物毒やその研究の歴史が学べ、毒蛇だけでなくトカゲ、イグアナ、蜘蛛などの標本や現物も見ることができる。
ここでは蛇、蜘蛛、サソリなどの毒に対するワクチンや血清の開発・製造を行っているとのこと(ただし、研究と開発・製造を行っている棟は非公開)。

研究所で出会った結構でかいトカゲさん。
オオトカゲの仲間には毒を持つものもいるそうな。
これは多分レースオオトカゲ(その場でメモするのを忘れたので詳しい方がいたら教えてください)。
ちなみに、研究所の隣は、広い敷地を誇るサンパウロ総合大学。

サンパウロには他に、大きくて収蔵品が充実している「サンパウロ美術館」、日本からの移民のことが良く分かる「ブラジル日本移民史料館」、サッカーファンにはたまらない「サッカー博物館」など、特長のある施設が沢山あるので、行った時には足を伸ばしてね。

モルンビーにも行ってみた

サンパウロ有数の高級住宅街として知られているモルンビー地区に僕が行ってみたいと思っている所が2カ所ある。
ただ、興味の無い人にはどうでもいい場所かも…。

ひとつ目が「モルンビースタジアム」。

サンパウロFCのホームスタジアムで約74000人の収容人数を誇り、リオデジャネイロのマラカナンスタジアムに次ぐ規模。
サッカー大好き人間の僕としては是非一度見ておきたかった訳。

ちなみに、ここは主にサッカーの試合に使用されるけれど、これだけの規模の施設はそう多くはないため、過去にはクイーン、マドンナ、ポールマッカートニーなどのコンサートにも利用されたんだそうな。

そして、もう一つがモルンビー墓地。

1994年5月イタリア・サンマリノGPで事故死したF1ドライバー「アイルトン・セナ」がここで眠っている。
彼は、アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルなどとともに1980年代から90年代前半の時代を代表するF1ドライバーとしてあまりにも有名。

また、「音速の貴公子」と呼ばれたことも強く記憶に残っているよね。

車が大好きな僕にとっては、ここはある意味聖地と言っても過言ではない。
しかし、興味の無い人にとっては…もちろん「それがどうした?」で、いいんです。

今回紹介した中で、もし団体旅行などなら「リベルターデの東洋街」以外は行くこともなさそうだけれど、僕の思い入れだけは伝わったかも。

サンパウロでサッカーの聖地の土を踏み、アイルトン・セナに敬意を表することができた。
うん、満足!

なんちゃって。