豪華列車で喜望峰へ

アフリカ大陸の最も南にある南アフリカ共和国。
日本人のイメージとしては、金とダイヤモンドと野生動物、そしてかつてのアパルトヘイトといったところだろうか。

しかし、南アフリカにはヨーロッパのオリエント急行と並び称される豪華列車が2種類ある。ブルートレインとロボスレイルだ。

今回はロボスレイルで南の喜望峰を目指すことにした。

まずは、ヨハネスブルグへ!

とりあえず南アフリカの玄関口ヨハネスブルグを目指す。

南アフリカ航空の翼で、香港を経由してヨハネスブルグへ。
ヨハネスブルグまでは乗り換え時間を含めて約21時間。

ヨハネスブルグは南アフリカ最大の都市で高層ビルなども林立するが、治安の悪さは抜群で世界トップクラスを誇っている。(誇ることじゃないか…)

ヨハネスブルグ到着後は、空港から50㎞程北にあるプレトリアに向かった。

旅の出発はプレトリアか

行った時期は南半球の春に当たる11月。天候は安定し清々しい季節だ。

プレトリアは3ヶ所ある南アフリカの首都のうち行政を担当する首都。他の2カ所は立法を担当するケープタウンと司法を担当するブルームフォンテーン。

ただ、ほとんどの国は大使館をプレトリアに置いているので、単に首都という場合はプレトリアを指すらしい。

列車の出発は翌日なので、プレトリア市内をちょっと散策してみた。

プレトリアは別名「ジャカランダシティー」と呼ばれ、市内に街路樹として植えられた55000本のジャカランダがちょうど満開を迎えていた。

ジャカランダの和名は「紫雲木」と言い、桐に似た青紫の花を付ける。

日本で見られるのは日南(宮崎)、熱海(静岡)、雲仙(長崎)などで5~6月に満開となるとのこと。ちなみに、花言葉は「名誉」「栄光」。

ジャカランダが一番きれいに咲いている通りに面しているこの豪邸は元大統領だったネルソン・マンデラさんの自宅。
ついでだからと野次馬根性で見に来たが白亜の立派な邸宅で、監視カメラが沢山付いていた。

2013年に亡くなったマンデラさんは、アパルトヘイト廃止後の1994年に行われた初めての全人種参加の総選挙で大統領に選ばれた人。政治犯として27年間も投獄されていたことでも有名。

いよいよ豪華列車の旅へ出発

ケープタウン行きの列車は火曜と金曜の週2回の出発。
いよいよ2泊3日の旅の始まりだ。

濃い焦げ茶色の客車にはロボスレイルのSLを模したロゴマークが描かれている。

会社のキャッチフレーズは「THE PRIDE OF AFRICA」(アフリカの誇り)らしい。

出発はロボスレイル専用駅であるキャピタルパーク・プレトリア駅だ。乗車したら各コンパートメントに案内される。

写真は列車の最後尾にある展望車。

ここから1600㎞の列車旅が始まるのだ。
ちなみに、新幹線で東京-鹿児島中央駅間が約1500㎞なので、だいたいこんな距離感。

部屋に荷物を入れたらビールでちょっと一息。
グラスをはじめ食器の全てにロボスレイルのロゴマークが入っている。

ちなみに、オールインクルーシブなので食事も飲み物も全て含まれている。1杯飲み終えると「もう1杯いかが?」と声を掛けてくれる。

マジ嬉しい。

全ての窓ガラスにもロボスレイルのロゴマークが入っている(中央)。

列車はこんな風景の中、広大な南アフリカの大地を走り抜けていく。山岳地帯や平原、小さな町などが次々に見えて飽きることは無い。

各コンパートメントはこんな感じで、この反対側にトイレとシャワー室がある。その他、テーブル、椅子、冷蔵庫、金庫などが完備。シャワーは温かいお湯も出て快適。

さすが豪華列車。
ちなみに、ロイヤルスイートにはバスタブも付いているらしい。

最後部の展望車デッキからの眺め。線路に柵などは無い。

電化されているので列車は気動車で牽引しているが、プレトリアを出発して少しの区間だけデモンストレーションとしてSLが引っ張ってくれる。昔懐かしいSLの石炭の匂いがした。

列車は時速60㎞程で走るが、線路の状態が悪い区間は揺れを抑えるために、時速30㎞程に落とす。

ダイヤモンドの街、キンバリーへ

キンバリーの手前、10分位の所にある湖には沢山のフラミンゴ!キレイなピンク、23000羽もいるんだって。

プレトリアを出発して563㎞、いよいよキンバリーに到着。

1866年にヤコブという少年が「ユーレカ」と呼ばれる21.25カラットのダイヤモンドを発見したのが全てのはじまりとのこと。

以来、最盛期には5万人もの欲に目が眩んだ人々が各地から集まり、こんなでかい穴を掘ってしまった。
深さ365m、閉鎖される1914年までの間に運び出された土が2500万トン、採掘されたダイヤモンドは1450万カラット。
人間の欲の深さを示すこの穴は「ビッグホール」と呼ばれ、完全に人力だけで掘られた穴としては世界一だとか。

この世界のダイヤモンド市場を仕切るデビアス社の本社が奥に見える高層ビル。

華やかなキンバリーの街中には、路面電車が当時のままの姿で走っている。

車のナンバープレートにはオリックスのイラスト。
現地では「ゲムズボック」と言うらしい。

キンバリーで博物館などを見た後、2つ先の駅で列車に合流。

戻って来た時にはシャンパンのサービスを受けた。
さすが豪華列車。さあ、出発!

さて、そろそろランチタイム。
3度の食事は全てこのダイニングカーで摂る。

内装は古き良き時代を偲ばせる重厚な造りになっている。

チキンのココナッツカレーソースやチーズキッシュなど昼も夜もフルコーッス。しかもディナーはフォーマルのドレスコード。

根が貧乏性の僕としては、ちょっと窮屈なんですけど…。

でも、ワインは好きなだけお代わりできるのは、めっちゃ嬉しい!

田舎町で”時代”を感じる

途中の小さな町「マーキスフォンテーン」で最後の途中下車。

プレトリアから1286㎞走って来た。
マーキスフォンテーンは本当に静かな田舎の町という感じ。

これはレイド・ローガンという人が100年以上前に鉄道旅行者のために建てたホテル。
当時のままの姿で今も営業を続けている。

町はこのホテルから発展していったそうで、他の多くの建物も当時のビクトリア・スタイルのまま保存されている。

ホテル前のおもちゃのようなガソリンスタンド。
シャレか冗談のように見えるが、実際に稼働しているんだそう。

博物館の前にあった標識。

どう考えてもここからシドニーと東京が同じ方向の訳はないのだが、特に文句を言う人はいないようだ。
しかし東京まで9147マイル、帰ることを考えるとこりゃまいる。

マーキスフォンテーンの駅に戻る。

海外の鉄道は日本のように線路内へ入れないような柵などはまず無い。田舎の駅ならいわゆるプラットフォームも無いので、のんびり、ゆったりな旅にはちょうどいいね。

終点ケープタウンまで、あと少し

列車はケープタウンに向けて、南アフリカの大地をひた走る。
最後尾の展望車デッキは気持ちいい。昔は国鉄(現JR)でもデッキはなかったけど、最後尾のドアが無くてフルオープンの車両があって、乗った覚えがあるなぁ(相当古い話ってか…)。

車窓の風景が大平原から山が多くなったら、ケープタウンはもうすぐ。

1600㎞、2泊3日の旅ももうすぐ終わりを迎えることとなる。

ついにケープタウンに到着。

港の奥に見えるのがテーブルマウンテン。
標高1088mまでロープウェイで一気に上がれる。
このロープウェイはゴンドラ部分が回転するので、窓際にいれば必ず360度見渡せるスグレモノ。

ケープタウン近くの連続した山並みは、キリストの使徒の数にちなんで「十二使徒岩」と呼ばれている。

ケープタウンから50㎞南のケープ半島の先にあるのが有名な喜望峰。

発見したヴァスコ・ダ・ガマが「ポルトガルに良い希望をもたらすように」と願って名付けたそうな。でも「Cape of Good Hope」をちゃんと訳すと「希望岬」となるはず。
何で喜望峰なったかというと最初に翻訳した人が間違えたらしい。知らんけど。

それとここはアフリカ大陸の最南端ではない。
本当の最南端はここから150㎞ほど南東のアガラス岬。

テーブルマウンテンの頂上からの景色。

ケープタウンの街並みに近くにあるデビルズピークの陰が長く伸びている。

左の方向12㎞先にはマンデラさんが27年間収監されていたロベン島監獄がある。

テーブルマウンテンからの夕陽。

旅はどんなに日数が長くても終わる頃に必ず思うことがある。
「あ~終わっちゃう、なんて短かったんだろう」とね。

旅の終わりと夕陽は人を感傷的にさせるのかな?
センチメンタルジャ~ニ~。

なんちゃって。